「みんなのためにやってるんだ」
僕はこの見出しのような
自己犠牲を匂わす発言をする人を信用しません。
特に
対象が絞られていない
不特定多数のために、
という場合は。
偽善だ、と断言することもあります。
その人がそのように行動していて、
その行動が実際にみんなのためになっているのなら、
そんなことをあえて言わなくても
みんな分かってくれるはずですし
その人自身もそれを実感できるはずだから。
なんでそんなことを口にするのか、
そこを裏読みしたくなります。
みんなのためになることを優先して
自分の事は我慢して、
誰よりも頑張る人は少なくないです。
でもそれはその人が自分から進んで
「やりたくてやっている」ことです。
あっさり書くと冷たい印象かも知れませんが。
やりたくてやってることです。
僕が尊敬する人や友人は、
みんなのためになることを優先して頑張っている人です。
自分の行動が、
うまく行っても、
いかなくても( というのは微妙かな… )
そういう人に限って、
「みんなのために~」的な
自己犠牲を匂わすことを
殊更に言い募ったりはしません。
外野からはその人が
「あのひとは自分を犠牲にしている」
というように見えても
その人にしてみれば、
やりたいことを達成するために
「必要な我慢をしている」のだから。
その我慢は、その人にとって許容範囲なんでしょう。
他の人がどう思うかは別にして。
また、
そうやって頑張っている自分のことを、
自分で褒めているんです。
「よくやった、いいぞおれ/わたし!」 と。
納得ずくなんですね。
「みんなのために~」的な、
自己犠牲を匂わせることを殊更に言い募る人は、
善意を押し付けています。
自分からそう言わざるを得ないということは、
その人の行動が、
みんなのためにはあまり役に立っていないか、
もしくは、
その発言を投げかけられる 「みんな」 に、
その人の本音や野心(下心)が見透かされているか。
その本音や野心(下心)を書き出すと、
虚栄心・見栄・名誉・権限・金銭的優位、
などでしょうか。
それを見透かされているから、
まわりの人は
その人に
心からの感謝の意思を表明しない・出来ないんですね。
上辺の感謝は表すでしょうが。
果ては
それくらいの感謝では
足りない足りない足りない、
と
欲張りなのか。
みんなのために頑張ることが自分の喜びなら、
そんなセリフを吐く前に、
自分の行動がみんなのために貢献できているかどうか自分なりに評価をして、
みんなのためになっているなら
喜びつつ、
次の行動に移るでしょう。
もしも思ったより効果が少なくて足りないという場合は、
どうしたらみんなのために貢献できるかを考え直して、
改善して、
行動に移すはずです。
「みんなのために~」
なんて言い募ってる暇はないんです。
ぼくはライフセービング活動を31年続けています。
僕が自分自身に誇れるのは、
「みんなのために~」と、
自己犠牲を匂わすようなセリフを口にしたことがないことです。
常々
「楽しいこと、やりたいことしかやらない我がままな人間です」
と言っています。
実際にそうなので。
自己犠牲を匂わせるようなセリフは、
今後も口が裂けても言うつもりはありません。
言おうと思う動機が湧きません。
ライフセービング活動の様々な分野で、
職業にして食べていける人がたくさん生まれるようにしたい。
できれば自分がまだ元気でいるうちにそういう状況を作りたい。
と、
ここ10年以上、考え続けています。
その思いが僕よりも強い先輩と共に、
たくさん自腹を切り、
たくさん時間を費やしながら、
10年以上環境整備に努めてきて、
少しずつその効果が出始めています。
自腹といっても
僕はゴルフも夜遊びもしないので、
巷の同年代がそれらに費やすだろう額くらいだろう程度ですが、
積もり積もればたくさんだったな、という程度ですので
気にもなりません。
環境整備の効果が出始めたので近年では自腹率はだいぶ下がりました(笑)
そういえばその先輩が
「みんなのために~」
的なこと言ったのを聞いたことがありません。
僕なんかよりも誰よりもみんなのためになる行動を率先して時間を割き、
めためた自腹を切ってきたのに。
心から尊敬しています。
その先輩と共に、
後進が僕らの立ち位置を引き継いでくれるときには
経済的な負担を少なく、
できればゼロにすること。
そして、
専門性が高い活動も多いので、
正当な対価を受け取れるように。
それが僕らの喜びなので、
それを実現する為ならこれまで以上に頑張ります。
僕も先輩も自分の得意分野には専門性があると自任しているので、
僕ら自身も正当な対価を得られるように、
もっと環境を整えます。
批判的に書いてきましたが、
「みんなのために~」と言い募る人が
そういいたくなる気持ちに共感がないわけではないです。
その人に愚痴をこぼし合える同志がいれば、
そういう発言をする必要もなかったんだと思います。
だいたい僕の周りでそういう発言をする人には
同志らしき人がいないように見えます。
同志がいれば、
慰めたり、励ましたり、諫めたり、一緒に善後策を考えてくれたり
そっと寄り添ったりしてくれたはずです。
そうすれば「みんなのために~」云々(デンデンではないwww)なんて言わずに済んだでしょう。
同志の大切さと尊さ、ですね。
独善的になっていないか、
権利・権限を振りかざしていないか
常に自省し続けて、
周りの頼れる同志を大切にして暮らしていきたい。
そう考えると同志がいてくれるので、
僕は幸せです。
ありがとう。
ここ数か月の自分を取り巻く諸々の状況に、
思うところがたくさんあって、
数年ぶりに長い日々思い悩んでいました。
ようやく心情的な出口が見えてきた実感があります。
関連することとしてこれを書きました。
迷ったらこの投稿を読み直します。
