新卒で中堅ゼネコンに
僕は、
新卒で中堅ゼネコンに入社しました。
そこでは分譲マンションの工事を受注する、若しくは
自社でマンションを分譲するための用地を探してくる業務を主に担当していました。
入社当時には
マンション用地に適した物件情報をもらうべく
都内の地場不動産屋さんに飛び込み営業をかけました。
しかし若造の僕にはなかなか自分で情報を得ることはできませんでした。
上司のもとに入った情報の調査を指示されることも多く、
現地の状況・役所での法令上の各種規制・法務局での権利関係など、
直属の上司から不動産調査の実務を叩き込まれました。
業務の一環として会社で施行する分譲マンション計画に関して起こる、
マンション建設に対する反対運動への対応も担当するようになりました。
業界ではこの業務を「近隣対策」と呼ばれます。
来る日も来る日も、
マンション計画に反対している方々、
困っている人や怒っている人を訪ねていました。
計画が建築基準法のうえで適法であっても、
マンションを建てるとなれば少なからず周囲のお宅に影響を与えます。
反対している方々の中には理由もなく感情的になってただ反対している方や、
単なる反対運動を賑やかすような方がいたのも否めません。
しかしマンションが建つことで本当に困らせてしまう方も少なくありませんでした。
訪問したときに塩を撒かれたり水を撒かれたり怒鳴られたりすることもしばしば。
(怖いところに連れ込まれたことも何回か。。。ww)
正直、前向きに取り組める日ばかりでなかった僕に、
ある上司が、
「お前の説明や対応で一日も早く反対する人たちに納得してもらって工事が早く始まることを考えてみろ。
そのままマンションが予定通り完成するとしよう。
反対運動を早めに収めて工事期間を長期化させなかった分、
ウチの会社が銀行に納める事業費の金利の負担が数か月分少なくて済むんだよ。
そうなれば事業費全体が抑えられるから、
その結果、
売りに出すマンションの値段を安くできるだろ。
そうなったら、
良いマンションを安く買えるお客さんが増えるんだぞ。
その喜ぶ笑顔を思い浮かべて頑張れ!」
と叱咤激励されました。
そのときは「なるほど、確かのその通りだ」と思いました。
マンション事業では、
まずはマンションに見合った広さの土地を買うわけです。
それは高価であり、
金融機関から多額の資金を借り入れて買うのがほとんどです。
月々の金利負担は大きくなります。
それがひと月分でも少なくなるとしたら、
たしかに上司が言うようになるかも、
と若い僕は思いました。
(実際は安く済めば済んだで利益に回すのが事業会社の常なんですが、若造の頃の僕は聞いた言葉通りに思い込みました)
しばらくはその言葉に励まされ一所懸命に、
マンションを買うはずのお客さんの笑顔を思い浮かべていました。
しかし、
実際に日々の中で目にするのは困った顔や怒った顔の数のほうが圧倒的に多いわけで。
僕のなかにあったマンションを安く買えて喜ぶ未来のお客さんの姿のイメージはだんだん枯渇していきました。
それでも根気強く通ううちに
「お前の会社は嫌いだが、お前は頑張ってるから嫌いじゃない」
などと言ってくれる人が増えてきました。
仕事としては建設反対をしている方に納得し(諦め)てもらうことに近づくわけなのでプラスなことです。
でも、
そうなると何だか困っていたり怒っていたりする人たちを
僕の個性を使って丸め込んでいるような、
そんな気持ちになりました。
近隣住民の方々が計画に反対をしている度合いが大きいと、
役所当局は建築許可を出し渋る傾向が強かった時代です。
この「近隣対策」業務は、
反対運動を鎮静化させる(=反対なさってる方々にある程度納得してもらう)ことで
役所当局から建築許可を下ろしてもらうまでが役目でした。
建築許可が下りれば、
そこからは工事部が現場に乗り込んできて実際に工事を行ないます。
そうなれは僕らの役目は終わりです。
当然、
完成したマンションを買って喜ぶお客さんの笑顔を見る役割に僕が立つことはありません。
また次の反対運動のある現場の対応へ向かうわけです。
いくつかのそういう反対運動を纏めていくなかで、
実際にお客さんの笑顔が見られない立場に、
なんだか頑張る確信が持てなくなってしまいました。
26歳の10月、
当時担当していた乃木坂の案件がひと段落したら退職しようと決意しました。
救命士になろうとして挫折
27歳になった4月に退職して2年半は、
ゼネコンでの反動もあり、
困っている人のもとに損得なしに駆けつける消防士、
とりわけ救急車に乗る救命士を目指して、
派遣社員をしながら夜間の公務員試験の専門学校に通いました。
しかし消防士である親しい友人に
「お前の勉強が足りないせいだ」
と指摘されたことに同意するしかない結果となり、
受験できる年齢上限までに合格することができませんでした。
最初から最後までに関わりたい
公務員試験に挫折した29歳の夏、
再び民間企業に就職するに当たり、いろいろ業種を考えた結果、
やはり住宅に関係する仕事に就きたいと思いました。
住宅が生まれて人が住み始める一連の流れの中で、
できるだけその流れの多くの部分に携わりたいと考えました。
そういう立場で仕事ができれば、
前回は目にすることが出来なかった
「お客さんの笑顔」
を僕にもイメージし続けられるんじゃないだろうか。
お客さんの笑顔を実際に見られる位置で仕事ができるんじゃないか。
そうすれば厳しい局面も前向きに乗り切れるだろう、と。
ちょうど自社で少棟数の建売や少区画の土地の分譲をするために
新しく社員を募集していた、
事務所を設立するまで在籍していた会社に就職することになりました。